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2011年3月

仙台から(東北地方太平洋沖地震)3

(2からの続きです)

3月13日
朝7時30分頃起きる。街の状況は変わらないように見える。
気分が暗くなる。起き上がるのもおっくう。寒い。
そんな私の様子を見かねた同居人がひとりで外へ様子を見に行った。
8時頃起き、申し訳なく思う。気持ち悪い髪をブラシでごまかして結い、自分も外に出ようと家を出た瞬間、同居人が帰ってくる。ダンボールを抱えている。
昨日行ったスーパーまで行ってきたとのこと。

ここでスーパーと隣の本屋に電気が通っていたとの朗報を聞く。北環状線沿いの道路にある自動販売機も復活!と温かい紅茶を渡されて同居人のコーヒーと一緒に飲む。元気が出てきた。同居人の強さに感服した。

朝ごはんは昨日のお鍋の残りの汁に炊飯器に残っていた硬いご飯とキムチ、卵で雑炊を作る。とにかく元気を出さないとダメだと思う。うちはまだ恵まれた方だと思う。

10時半頃トイレに行く。(※あまり美しい話じゃなくて尾籠だが、小の方は数回に一回流すようにしてました…)トイレを流していたらちょろちょろと水道から水が出る音がする。急いで台所へ行き水道を捻ると、流れは悪いが水が出ていた!水道が復旧したらしい。うれしい。

それからすぐまた街に出る。確かに北環状線沿いは電気が点いている。民家は解らない。泉中央までの道路も自家発電じゃない所も信号が点いていた。
泉中央は昨日と同様、イトーヨーカドーが長蛇の列。今の所我が家は食料が足りているので遠巻きに眺めるのみ。
その後七北田公園へ、公園内は時たまタイルが壊れていたりするが結構キレイ。仙台スタジアム自体は壊れていないようだが、もちろん12日の開幕戦は中止だった。そのまんまになっている場所取りのシートが物悲しい。

昼頃家に戻るが、同居人がもう一度泉中央へ行くと言い出す。道中のコジマで携帯電話無料充電サービスをやっているのを見ていた為。疲れの見える私を慮ってか、私の分も持っていってくれた。本当に今日は同居人の行動力に助けられている。申し訳ない。

待っている間お湯を沸かして髪と体を洗う。シャンプーを流すのに苦慮し、トリートメントは諦める。体をごしごし擦って少ないお湯で流すだけで大分気持ちがすっきりした。同居人が帰ってきて湯を沸かして入ってもらう。

夕方、我が家の横には小さな川があり、その向かいのマンションに電気が点いているのに気付く。6時位。もうすぐウチの区画も点くだろうと期待して待っていたが、結局この日は点かなかった。ウチの区画と高い所にある住宅街のみ真っ暗。他は点いている。
目の前が点いているのはうれしいけど、自分の家が点かないのは逆に辛い。
この夜はなんとも悔しい夜だった。

充電してもらったケータイでワンセグを見てみたが、15分なのですぐ切れてしまった。そして被害が甚大なことにこの時やっと気付いた。
(4へ続きます)

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仙台から(東北地方太平洋沖地震)2

(1の続きです)

3月12日
8時頃起床。同居人が9時頃起き、街へ出る。

近くのコンビニに列。店内は真っ暗。北環状線に出てホームセンターを目指す。
電池やラジオがあれば欲しい。
しかしホームセンターは長蛇の列。並んでいると前後の人々の会話が聞こえ密かにリサーチ。噂によるとホームセンターで売っているのは乾電池と一部の商品のみらしい。しかも数量もあとわずか。途中で諦め向かいのスーパーへ。

スーパーも1時間位並んで食料を手に入れる。くだもの数個、カップめん8個、牛乳2本、ジュース4本、お菓子4~5袋、パスタ、等等、占めて3600円。売っている品物は限られており、全て100円か200円。お店の人が電卓で計算して袋に詰めてくれる。ありがたい。これで数日は食事は大丈夫だろう。

いったん家へ戻り、空のペットボトルを1本持って外へまた出る。
(※書いていませんが電気・水道が断絶状態でした)
今度は泉中央方面へ行く。途中の八乙女駅舎のガラスが割れていた。道路、歩道もところどころ割れている。橋は多くの場所が橋の部分が盛り上がっており段差ができている。
道路工事の人がそんな段差をもう直していた。それから大きな道路で自家発電がある信号は動いて整然としている。

泉中央はイトーヨーカドーが入り口で販売をしていたが、私達が行った頃にはものが無くなっていた(多分12時位)、区役所前に自衛隊の車両が見えた。
帰りに八乙女消防署へ行く。水を配布していると口コミで聞いたから。同じ情報を聞きつけたのかもの凄い人の数。並んでいる途中で水が無くなったと言われ手ぶらでとぼとぼと帰る。水がヤバい。
トイレの水はお風呂に貯めていた水を使っているが限りがあり、飲み水は冷凍庫にある氷を溶かして使う分しかない。カップめんを買っても水が無い。こんなこと初めてで暗くなる。

ここで奇跡。八乙女駅前交差点を渡った所に芝生で覆われた坂があり(※解りづらい表記ですいません!)、そこに子供がしゃがんで何かを見ている。子供はのんきだな…と思っていたが、そこを良く見ると光っている、っていうか濡れている…!?
次の瞬間ピンときてその坂を上ると、思った通り、地震のせいで水道管が破裂し、アスファルトを突き破って小さな井戸のようになっていた。見た所キレイ。興奮して持っていたペットボトルに汲む。一緒に組んでいたおじいさんおばあさんが飲用にはしない方が良いと言っていたが、飲む気満々だ。
一度家に戻り、家中のペットボトル、空き瓶を持ってもう一度汲みに行った。
こうしてなんとか調達を完了し、家に戻った。まだ午後2時前、でも少し疲れて眠る。4時頃起きて暗くなる前に夕飯の支度をする。冷蔵庫のお肉と野菜で鍋もどき。冷蔵庫も電気が無いので肉や牛乳が不安。でもあまりムダに使いたくない。ジレンマ。

食事が終わって窓から外を見る。窓から見える公園に人が並んでいる。どうやら水が出るらしい。段々部屋が暗くなる。真っ暗になったらすることがない。ケータイも今朝電池が切れた。充電器も手に入らなかった。

情報が知りたい、知りたい。お風呂に入りたい。髪が気持ち悪い。
夜8時頃1回寝るが、午前0時、2時、5時頃に起きる。
余震は相変わらず、5時頃かなり大きな揺れがあった。サイレンもひっきりなしに鳴り響いている。

(3へ続きます)

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仙台から(東北地方太平洋沖地震)1

凄い地震がおきました。3月11日のことです。
私は無事です。実家の両親、同居人のご家族も無事です。
仙台の内陸部は大分落ち着きを取り戻してきたように見えます。でもまだまだ足りないものも不自由している人もいます。
それに海沿いは本当に深刻な状況のようです。昨日からニュースを見れるようになりましたが、見てると一日に何回かは泣いてしまいます。

これから、誰宛でもないのですが、自分の記憶を覚えていられるように、これまでの出来事を書いておきたいと思います。
電気が無い昼間に手書きで書いた手記の転機なのでとても読みづらいのですが、もし誰かの参考になったら幸いです。

3月11日
午後の仕事をはじめて間もなく地震が起きる。
始めは震度3くらいのゆれで、この前の地震の余震かな?と思っていたら、間もなくもの凄いゆれが来た。
体験したことの無い揺れ。それでも1分位したら収まるだろうと最初は余裕だったが、さらに揺れが酷くなる。本能的にヤバいと思い、隣で固まっている女の子を引っ張って机に潜り込む。さらに揺れ強まる。電気が消える。悲鳴が聞こえ、何かが割れる音が聞こえる。
机のへりを掴みながら泣いている隣の女の子をなだめつつ、これは酷いことになった…と感じる。頭に浮かぶのは家族のこと、同居人のこと、猫のこと、家のこと…なんとなく自分は大丈夫な気がしたが、それらのことを考えると足がすくんだ。

5分位経っただろうか、揺れが収まり、外へ。駐車場でしばらく待機。タイミング悪く雪が降ってきた。鞄、ケータイ、上着は全部ロッカーの中。寒い。でも皆助け合って、身を寄せ合ったり、防寒具を分け合ったりしている。同じ課の方が薄着の私を見かねて上着を貸してくれた。とても有難い。
1時間半程で建物へ荷物を取りに戻れるようになり、そのまま解散となった。
私はバスで通勤していたので車を持っている人に家の近くまで送ってもらう。社内でケータイを使うが全く通じない。災害伝言板にそもそも接続できない。
普段なら車で15分の所を3時間近くかけてやっと通過する。街は真っ暗。光は車の光だけ。北環状線(比較的大きな道路)で降ろしてもらったが、真っ暗なので正直ここで正しいのか解らない。信号が無いので道路を渡るのも怖い。
なんとか家に着く。大声で真っ暗な家に向かって同居人の名前を呼ぶ。返事がある。やっとひとりじゃなくなった気がして気が緩んだ。
真っ暗な部屋でこれまでの情報を話す。余震は何度もある。とにかく情報が欲しい。
家は家具、家電が少ないこともあって無事。窓ガラスも割れてない。買ったばかりのPS3も無事。
しばらく部屋にいたが、余震が怖いのと、情報を探す為に近所の小学校を目指す。行った事が無いので少し迷うが途中であった人に教えてもらう。
小学校はテレビで見たようないわゆる「避難所」。場所はもういっぱいで入り口近くの端っこに座る。ご飯を貰う。ふたりで1個。ほんのり温かいわかめご飯。そういえば本日初めての食事だ。そして今日は人に助けてもらってばかりだ。

ここでやっと実家に電話をかける。太白区の実家も猫も無事とのこと。一安心。
避難所でも特に情報は得られず、真っ暗なのは変わりないので1時間程で家に帰る。
寝てる間も何度も余震があった。寝たのは多分11時くらい。
(2へ続きます)

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