仙台から(東北地方太平洋沖地震)1
凄い地震がおきました。3月11日のことです。
私は無事です。実家の両親、同居人のご家族も無事です。
仙台の内陸部は大分落ち着きを取り戻してきたように見えます。でもまだまだ足りないものも不自由している人もいます。
それに海沿いは本当に深刻な状況のようです。昨日からニュースを見れるようになりましたが、見てると一日に何回かは泣いてしまいます。
これから、誰宛でもないのですが、自分の記憶を覚えていられるように、これまでの出来事を書いておきたいと思います。
電気が無い昼間に手書きで書いた手記の転機なのでとても読みづらいのですが、もし誰かの参考になったら幸いです。
3月11日
午後の仕事をはじめて間もなく地震が起きる。
始めは震度3くらいのゆれで、この前の地震の余震かな?と思っていたら、間もなくもの凄いゆれが来た。
体験したことの無い揺れ。それでも1分位したら収まるだろうと最初は余裕だったが、さらに揺れが酷くなる。本能的にヤバいと思い、隣で固まっている女の子を引っ張って机に潜り込む。さらに揺れ強まる。電気が消える。悲鳴が聞こえ、何かが割れる音が聞こえる。
机のへりを掴みながら泣いている隣の女の子をなだめつつ、これは酷いことになった…と感じる。頭に浮かぶのは家族のこと、同居人のこと、猫のこと、家のこと…なんとなく自分は大丈夫な気がしたが、それらのことを考えると足がすくんだ。
5分位経っただろうか、揺れが収まり、外へ。駐車場でしばらく待機。タイミング悪く雪が降ってきた。鞄、ケータイ、上着は全部ロッカーの中。寒い。でも皆助け合って、身を寄せ合ったり、防寒具を分け合ったりしている。同じ課の方が薄着の私を見かねて上着を貸してくれた。とても有難い。
1時間半程で建物へ荷物を取りに戻れるようになり、そのまま解散となった。
私はバスで通勤していたので車を持っている人に家の近くまで送ってもらう。社内でケータイを使うが全く通じない。災害伝言板にそもそも接続できない。
普段なら車で15分の所を3時間近くかけてやっと通過する。街は真っ暗。光は車の光だけ。北環状線(比較的大きな道路)で降ろしてもらったが、真っ暗なので正直ここで正しいのか解らない。信号が無いので道路を渡るのも怖い。
なんとか家に着く。大声で真っ暗な家に向かって同居人の名前を呼ぶ。返事がある。やっとひとりじゃなくなった気がして気が緩んだ。
真っ暗な部屋でこれまでの情報を話す。余震は何度もある。とにかく情報が欲しい。
家は家具、家電が少ないこともあって無事。窓ガラスも割れてない。買ったばかりのPS3も無事。
しばらく部屋にいたが、余震が怖いのと、情報を探す為に近所の小学校を目指す。行った事が無いので少し迷うが途中であった人に教えてもらう。
小学校はテレビで見たようないわゆる「避難所」。場所はもういっぱいで入り口近くの端っこに座る。ご飯を貰う。ふたりで1個。ほんのり温かいわかめご飯。そういえば本日初めての食事だ。そして今日は人に助けてもらってばかりだ。
ここでやっと実家に電話をかける。太白区の実家も猫も無事とのこと。一安心。
避難所でも特に情報は得られず、真っ暗なのは変わりないので1時間程で家に帰る。
寝てる間も何度も余震があった。寝たのは多分11時くらい。
(2へ続きます)
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